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「C-YA」明るい人生をプレゼントするC-YAオンラインワールドキャンプ

投稿者
web_news
投稿日
2020-08-01 00:09
閲覧数
2279


開幕式と第1日目に続き、2日目の朝が明けた。
新型コロナウイルスにより退屈な日々を送っている多くのキリスト教徒たちのために、C-YAは様々なプログラムを準備した。昨日から始まった永遠の贖いのシリーズ「人生と真の神」に続き、今日は「罪、悔い改め」、また「福音の足跡」をオンラインを通して一緒に旅する時間を持った。

永遠の贖い - 罪とは



「神が律法をくださった理由は、私たちには罪があり、罪人だということを教えるためです。善を装い清いふりをするが、すべてが罪です。それに気づかせるために、私たちに律法を与えました。私たちがその律法を知り従うところから信仰が始まります。律法によって私たちの心の状態を正確に知ることができます。病気があるから医者に治してもらえるように、罪があるから神の前に出て行って赦されることができるのです。」

永遠の贖い - 悔い改め



「私たちはもともと悪を行うしかない悪の種で、それが人間の根本です。しかしイエスは私たちを救うためにこの世に来られました。私たちの罪を負われるために来られたのです。イエスの前に出ていく人は、罪人のみです。今日は方向変換の悔い改めについて説明しました。自分のものを持ったままの悔い改めは、部分的な悔い改めに過ぎず、真の悔い改めではありません。私たちが自らの方法で信仰生活をすれば失敗するしかありません。」

 

パク・オクス牧師の午前のメッセージ



「イエスは安息日の主です。聖書が語る安息日の主は『わたしがあなたがたを休ませてあげます。』と言われます。安息日になるとすべての荷物を下ろすように、イエスの前に来ればすべての罪の重荷を下ろせます。イエスは私たちの罪のために十字架にかけられ、私たちの罪を完璧に洗い流しました。アーメン。
私たちの罪を永遠に贖いました。そして私たちがこれ以上律法を見ないよう、蓋をしました。律法は罪と死の法です。新しい法はいのちの法です。イエスの血によって罪が洗われるのであって、律法によっては石に打たれて絶対助かることができません。『主の御告げ—わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。』(エレミヤ31:34)私たちの罪を雪のように白く洗いました。」

福音の足跡 – イスラエル

チャン・ジュヒョン宣教師はイスラエルの聖地巡礼第2編で、ガリラヤをテーマに2度目の旅を始めた。始めに訪れた場所はボアズとダビデの故郷でイエスが生まれたベツレヘムだった。チャン・ジュヒョン宣教師はまるで聖書の中の宝探しをするように、至る所に隠された人物や事件について、興味深く解いてくださった。場所ごとにイエスの足跡を感じるほどに、聖書の一節一節を通して説明した。ベツレヘム、ナザレ、ガリラヤ、 エラの渓を巡礼し、最後の第3編はエルサレムを旅する予定だ。

テーマ別マインド 成功するマインド:知恵

2回目のマインド講演時間にキム・ジェホン講師は、成功する人生と幸せな人生を送るためには知恵が必要であると話した。幸せな人生の3大要素のうち、知恵は知恵を持った者に学ばなければならず、知恵の王であるソロモンについて分かり易く説いていった。二つ目の例話は「大物になる奴」という映画の主人公の人生ストーリーを通して、知恵が必要な理由について話した。叱りは知恵を与える。彼を誉めずに厳しく叱っていたら、主人公がより大きな犯罪に手を染めることはなかったはずだと強調した。
また、韓国の教育とユダヤ人の教育制度を比較し、知識をたくさん積んだ人より知恵をたくさん持った人に育てるユダヤ人の成功的な教育方法を通して、知恵を持つ人になることが知識を積むことよりもっと重要であると述べた。

文化公演







情熱と若さを見せてくれた韓国ダンスチーム、タイダンス、コートジボワールの文化公演が繰り広げられた。そしてマラウイ共和国の副大統領とマダガスカル国連大使の祝辞が続いた。

 


ヴェロ・ヘニントソ・アンドリアミアリソ、マダガスカル国連大使の祝辞

 


サウロス・チリマ、マラウイ共和国副大統領の祝辞

 

昨日に続き、ドキュメンタリーシリーズ「自分の考えと遊ぶ」編が放送された。

 





C-YAの美しい花、グラシアス合唱団の公演が続いた。シン・ジヒョク、チェ・ヘミのデュエット、素敵なピアノ公演と合唱団の歌が美しい旋律を披露した。

 

パク·オクス牧師の夜のメッセージ

「C-YAは、聖書を通して罪の赦しを受ける方法を教え、罪の赦しを得て幸せに生きるように導きます。私ども教会に来た人々のほとんどは罪の赦しを受けました。そしてイエスと一緒に歩みながら限りない恵みと祝福を得ています。姦淫の場で捕らえられた女は石に打たれて死ぬしかなかったが、イエスに会えたことで、イエスがすべてから守ってくださり言い表せないほど祝福の人生を与えられました。私たちの話は聖書に基づいた話です。イエスは姦淫の場で捕えられた女に言われました。「彼女は言った。『誰もいません。』そこで、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。』」(ヨハネ8:11)」罪に定めない。イエスは私たちを罪に定めません。罪に定めない理由はイエスが十字架の上で私たちの変わりに釘付けられて死なれたからです。私たちを罪から自由にさせて恵みをくださいました。イエスは私たちの中におられます。
そのイエスと会い、罪の赦しを受けて、いつもイエスが共にいて悪から守り、決して世の中では得られない尊い神様の働きを経験し、みことばを通して今回のキャンプが神様とつながる貴重な時間になりますように。姦淫の場で捕えられた女がイエスに会えて明るい人生を得られたように、皆さんもそうなることを願います。」

参加者インタビュー1

「牧師先生は、私たちを救ってくださったイエスが私たちのすべてを知っておられ、神様に会うまでのすべてを準備し、神様につながるようにしたと話しました。そして聖書を見ると神様の心が見えると言いましたが、ヘブル人への手紙10章1節とエレミヤ書31章の33~34節のみことばが心に残りました。私の心に記録されたみことばが私の心を守るだけでなく、イエスによる平安が常に共にすることを思うと感謝します。今まで問題や困難に遭うと、そのつど新しいみことばを探していましたが、しもべを通して聞いたみことばを思い出し、その約束を信じることが重要だということを教えてくださいました。」– シン・ヨンミ / 広島

参加者インタビュー2

「長い間、教会で信仰生活をしても心を重く押しかかる問題がありました。それは私の夫が救われることでした。牧師先生が38年になった病人が、自分の中で考えと闘い、葛藤する部分について詳しく説明したとき、まるで私に話しているように思いました。38年の病人は何度も起きて歩こうと続けて努力したが、38年が経ったときにはまったく歩けないという心で諦めてしまいました。私も人々に伝道をしますが、いつの間にかこの人は難しいという気持ちが形成されます。38年の病人は今まで自分の考えを信じた結果が悲惨なことしかなかったので、イエスの話を一度信じてみたいという思いでみことばを心に受け入れると、彼は歩き、走りました。38年の病人と同じだった私の心に『死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。』というみことばが思い浮びました。死人のような私の心と夫の心に神の子の声が聞けたら、神様の種が芽を出して実を実らせてくださるという気がしました。私が夫を変えようと努力するのではなく、神様がどのように私の夫に働かれるのかを信じさえすればいいのです。
姦淫の場で捕えられた女が姦淫という罪に勝つ力が自分にはなかったように、私には夫を変える力がありません。しかし福音の中には世に勝つ力があり、みことばの中にはすべての能力があるので、夫や私の家族が神様の中で救われることを思うととても感謝します。」- キム・インスン/福岡



イエスと出会い、世の中で得られない貴重な幸せをプレゼントするC-YAオンラインワールドキャンプ。毎時間、日本の多くのキリスト教徒たちの心がイエスに会えて彼らの人生が明るくて幸せになることを期待する。