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「世界キリスト教指導者共同記者会見」キリスト教の改革と教会の進むべき道

投稿者
web_news
投稿日
2018-06-07 18:45
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世界キリスト教指導者共同記者会見_ポスト宗教改革500周年記念

国内外のキリスト教界で各種の不正行為が明らかになり、キリスト教全般に対する不信が広がっている。
これに対し、教団と教派を離れ「聖書」だけで連合したキリスト教リーダーたちがソウルで記者会見を開いた。
全世界のキリスト教が直面している問題点、異端論争、宗教指導者たちが守るべき道徳性、キリスト教の改革と聖書的な提言が相次いだ。一国のキリスト教を導くリーダーとしての賢明で明確な回答で、記者たちをさらに深層的に質問させた。
キリスト教の現状を正確に直視し、具体的な活動計画が挙げられていた
記者会見のパネラーたちの回答をまとめた。

CLF総裁挨拶 | パク・ヨングク(Yeong Kook Park)世界キリスト教指導者連合総裁



CLF総裁パク・ヨングクです。私はニューヨークで牧会をしています。
アメリカはキリスト教を土台に建てられました。ニューヨークにはブロックごとに教会があり、昔から神様を熱く仕えていたことが分かります。韓国も同じ問題がありますが、アメリカにも多くの教会が死んでいることが分かります。聖徒は高齢者の数人程度で、教会という名だけ維持する所を見て悲しかったです。アメリカだけじゃなく、全世界の教会がそのように流れています。教派や教理がお互いを分け合い、弱くしました。結局、多くのキリスト教徒たちはそのような問題で教会から離れるしかありませんでした。
CLFは、教派を超えて再び神様のみことばである聖書に戻るために始まりました。 多くの牧師たちが私たちと志を共にし、力を合わせ、またイエスによる救いと神様のみことばが立てられることを祈る気持ちで働いています。CLFは牧会者たちの心に力を与えるだけでなく、世界中にネットワークを形成し、福音を伝える道具になろうとしています。
(パク・ヨングク) 世界キリスト教指導者連合総裁

CLF設立者基調演説
韓国のキリスト教は聖書的に間違っていることを言っています。
パク・オクス牧師(グッドニュース・カンナム教会)



韓国のキリスト教の歴史は輝いていました。日本の植民地時代には、キリスト教徒が先頭に立って独立運動を主導し、キリスト教のリーダーたちがこの国を美しく導いてきました。ところが、最近は非難を浴びるキリスト教になって胸が痛いです。
教会では聖徒たちに正確な信仰を教えてくれません。かつてローマ教会が聖徒たちに愚民化政策を取る時、彼らは何と言ったんですか。「司祭は聖書を読んでもいいが、平信者は聖書を読んではいけない」と言いました。聖徒たちが聖書を正確に知っていたなら、どうやって彼らに免罪符を売ることができたでしょうか。今、韓国の教会が聖徒たちの愚民化をもたらしています。大半の聖徒たちは一週間のうち、日曜日だけ教会に行きますが、しかも主日礼拝の説教のほとんどが15分で終わるのに、その時間にどうやって真理を話せるでしょうか。それで「聖書を説明する聖書」が出て、集会のような行事をすべてなくし、さらに復活祭の行事も行なっていません。その結果、何が起こったかというと、新天地のような教会に人々が引きずられるのです。聖書を知っていたら誰がそこに行きますか。韓国の教会の現実にとても胸が痛いです。
韓国はキリスト教が必要な国です。韓国キリスト教界に正確ではない規定で、異端問題を起こし、宗派を分けて分裂をもたらす団体はなくならねばなりません。互いに集まって対話することができ、聖書だけが残り、互いに間違った部分を直して交流できる連合が必要です。そうしてこそ教会が成長できます。韓国にはいい牧会者が多いですが、導いていく力をもらえずにいます。韓国人は特に、人を非難するのが好きです。神様の前だけでも謙遜な心と愛に進めば、わが国に真のキリスト教が建てられると信じます。

記者:韓国キリスト教について実質的に改革されるべき部分について説明してください。
教会に行く人たちは皆、罪の赦しを得て天国に行くことを望んでいます。ところで、韓国のキリスト教は聖書的に間違っていることを言っています。
イエスがこの世に来られて十字架に釘付けになって死なれたことですべての罪が贖われたと聖書に記されています。賛美歌を見ても「君に睦ぶこの日ぞ、嬉しき」という賛美歌があり、また「くちる金や銀のごとき世の宝によらず、小羊なるイエスの血にてわれ贖われたり」と賛美をします。
「もし、私たちが自分お罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1:9)
「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように。あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」(イザヤ44:22)
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23~24)
聖書を見れば、イエスの血で私たちの罪が確かに洗い流されたという内容が盛り込まれています。しかし、韓国の教会はイエスが十字架に釘付けになったことを信じろと言い、罪人だと教えています。その部分は聖書に照らしてみると明らかに間違っています。聖書のどこにもイエスを信じて罪の赦しを受けた後、また罪人だと言った所がありません。10年信じても罪人、20年信じても罪人、30年信じても罪人、死んでも罪人…それではどこへ行けば良いですか?
私たちの罪が残っているなら、イエスの十字架は失敗したのです。
「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ53:6)
聖書は神様が私たちの罪をイエスに負わせたと言われました。イエスがその罪を負い、その代価を払うために十字架で死なれました。
「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちを義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ4:25)
さらに驚くべきことは、ヘブル人への手紙9章11節に、イエスは大祭司だと話します。「旧約聖書に出てくるいけにえ」と「イエスのいけにえ」について話しますが、イエスは私たちの罪を贖うとき、手で造った物ではなく、さらに完全な幕屋である天の御国の祭壇に血を塗ったと言われます。ただ、イエスご自身の血で「永遠な贖」を成し遂げられたのです。2千年が経った今でも贖いの効果が生きていると聖書は話します。正しい信仰を持った人々は罪の赦しを得るのが原則です。罪の中に溺れて汚れた状態ではなく、罪の赦しを受け、清められた良心を持ち、清められた魂を持つそこから信仰は始まります。多くの方々がイエスを信じるが、罪人だとも言います。毎日罪のために泣き、毎日罪の赦しを請う祈りをする…それは聖書と違います。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23~24)
神様が義と認めたなら、裁判官が義と認めたなら私たちは義です。韓国のキリスト教が教えることは聖書と見解の違いがあるので、変わらなければなりません。

聖書を知ることが解答である
オズボーン・フレザー | エスワティニ神の聖会、南アフリカ連合総会長



キリスト教は文化と人間の心が混ざり合うため、復興する時があれば退歩する時もあります。また復興によって退歩が急速に進むこともあります。南アフリカは、韓国の問題と大きく変わりませんが、それを三つに分けてお話しします。
一つ目は、世の中的で人間的な部分です。真の福音を人間的な目で解釈し、社会のやり方が浸透するにつれ、キリスト教の位置が人間的な基準に押されています。正常なら、人間の基準が聖書のみことばに従順しなければなりませんが。
二つ目は物質的で唯物論的なことです。アフリカは貧しい背景を持っているので、金持ちで豊かに暮らせるという教えが福音を覆い隠させ、人々がそれに付いて行くうちに異端が生まれました。人々は教会で多くのことをしますが、結局、金持ちとして生きるためでした。
三つ目は、純粋に聖霊を頼らず、あれこれと混ぜ合わせて能力が現れるような模型を作ります。教会の中で迷信的現象を取り入れ「これが聖霊の能力だ」だと言います。
パク・オクス牧師が聖書に深く入り、詳しく説明することがどれほど重要かわかりません。聖書を知ることが解答になると思われます。聖書が何を言っているのかを知り、教えも聖書の中で探さなければなりません。また、聖書の教えを一節と断定してはならず、様々なみことばを探さなければなりません。今、社会は退歩しています。人生の中心に神様の代わりに人間を立てて、人間自らが運命を調整するという考えが蔓延しています。運命は「私たちが神様によって何をしたか」で左右されるでしょう。これからは福音に戻り、聖書に戻り、私たちの創造主である神様に戻らなければなりません。